<9回目>湯布院から
内容そのものが“伝染”
■別府に刺激され
西日本新聞広告局が行った福岡居住の主婦の方々へのアンケート調査によると、「一泊旅行する」なら「大分」が一番人気だったとのこと。多分、湯布院や別府に代表される温泉人気でしょう。
古くからのコアラ会員である松村亮司さんは、その別府と湯布院を主たる行動範囲とする自動車のセールスマン。写真の腕はプロ級で、個展もよく開いている。別府の観光ホームページが好評であることに刺激され、もう一方の湯布院町を紹介しよう
と、動いたのです。
湯布院の最も人気の高い散策路“湯の坪”界隈にあるおせんべい屋さん、カレー屋さん、舶来グッズのお店、地酒を中心にした酒屋さん……。こういったお店を紹介するホームページをつくったのですね。
■「新聞はいい」
それぞれのホームページの終わりに必ずお店のご主人と奥さんの写真が微笑ましくデンと載ってて、インターネットも観光も原点は人、ということをキチンと表現している。
それを受けて湯布院を代表する旅館の一つ、玉の湯旅館の桑野泉さんも旅館のホームページづくりに挑戦。玉の湯は海外からのお客も多く、外国語で案内を出したところ、さまざまなところから反応がある。もちろん電子メールで予約が来たりもしてい
る。
そうそう、海外のお客さんが英字新聞を希望される方がいたりすると、従来は車で大分市などに走らざるを得なかったのが、最近は「インターネットがある」というと「じゃ新聞はいい」というお客さんもいるとか。
■米軍移転に反応
そういうやり取りを得つつ、桑野さんはアメリカ軍演習場の湯布院日出生台移転に地元に住む住民として疑問に思うこと、母親として感じることをホームページに出し始めたのです。
今度は世界のあっちこっちからメールが来るようになり、そういった感情が自分だけでないことにうれしさと心強さを感じてる。
そういった気運の中、今度は松村さんが高校時代の恩師寺尾さんの遺稿をホームページ化したのです。寺尾先生も古くからのコアラ会員で、あちこちの高校の校長先生を歴任、多くの教え子をもっておられた方。
退職された後パソコン通信を始められ、教職員として得たさまざまな経験を「子育て」会議室に発言、子を持ちはじめた若い世代に影響を与えたものです。
■被爆体験を証言
その寺尾先生、三年ほど前だったか「今まであまり話さなかったが、もう話してもいいでしょう」と、ご自分の広島原爆体験を書きつづったんです。
それはわれわれには驚く内容で、先生にとっては思い出すだけでもつらく、したがって奥様にもほとんど話さなかった内容だったのですね。当時、その内容は日本のパソコン通信局のあちこちに転送されたいへんな反響があったことを思い出します。
その寺尾先生、今夏亡くなられたのですが、先生を慕う松村さんが、奥様の同意を得てその原爆体験の原文、それにコアラの電子会議での反響を一緒にして、英訳を添えてホームページ化。
これにはそれこそインターネットらしく世界中から電子メールがやってきて、今さらながらさまざまに考えさせられているとのこと。
ホームページづくりは人から人へ伝染しつつ、観光から自分の感情や考えを表現するものへと進み、今度は内容そのものが伝染していくんです。
※ 掲載内容はコンテンツ制作当時の情報です。