電脳迷宮

<3回目>地域ネット

転がり続けて世界に

■自ら電子メール
動物ではない。
コアラは、一九八五年五月に大分で始まった地域興しグループの名称だ。それもパソコン通信を使って。「中小企業振興のためにデータベースを使いこなす」ことを目的に、青年会議所有志を主体に三十人ほどでスタート。
当時、通信規制が緩和されてキャプテン(文字図形情報ネットワーク)などが大々的に登場したが、「パソコン通信」はまだ概念も言葉さえ固まっておらず、試行錯誤。
ところが、電子メールや電子掲示板でお互いの意見交換ができることの素晴らしさに気付き「データベースよりもコミュニケーションが先にある」と、方向転換。そこに平松守彦大分県知事が登場。自ら電子メールで年賀状を出し、受け取った会員はビ ックリ。今でこそアメリカの大統領も使っているけれれど「十年ひと昔」前の話。

■電話料金の壁が
乞われて名誉会長に就任した平松知事の第一声は「子どもたちが生まれたときから、パソコンが当たり前になるように若い女性を勧誘しなさい!」。これほどうれしい励ましの言葉はない。と同時に「ああ、パソコン通信は老若男女、だれもが社会基盤 として使えるように整備してこそ中小企業振興になるんだ」とナットク。
すると、本当に元気のよい女性たちが入ってきた。何しろ社会現象の最先端に取り組もうというだけあって、彼女たちの能力は男性以上。独身や子育てをテーマにしたり、バザール感覚で国会議員と湾岸戦争を話し合ったり。すっかり活気づき、男性陣 は勇気百倍。
その活気につられて会員が膨らんでいくが、ところがどっこい、楽しめば楽しむほど電話料金の壁が大きく高く立ちはだかってくる。普及の壁だ。

■早々と情報道路
そこに、竹下内閣の「ふるさと創生資金」がうまい具合に出現。大分らしい使い方を模索し、県内どこからでも市内電話料金で通信できる「豊の国ネット」と呼ばれる「情報道路」が八九年秋完成した。
最近アメリカから「情報ハイウェイ構想」が伝わってきたが、そんな話が起こる数年前のこと。今となっては高速道路でなく凸凹道路になってしまったが。
しかし、今度はメーカー系の東京中心ネットがすごい勢いで地方に覆いかぶさってきた。こちらが会員数二千人でもたもたしていると、彼らは五十万人。いや、あっと言う間に百万人。
大分人もコアラの先にそっちに入会するので「地域ネットはもう不要か。全国ネットの一角を借りて九州談義するしかないのか?」と深刻に感じてきた。

■東京怖くない?
もしそうなったら少々さびしいし時代に逆行しそうだ、と、皆で話し合う。ところが、そこに今話題のインターネットが出現。九四年七月、コアラは地域ネットとして全国で最初にインターネットに接続されたようだった。
つないでみればコアラの二千三百人はインターネット利用者の五千万人、それも全世界と合体してしまった。つまりは、ボタン一つでコアラの隣にワシントンやパリのホームページがあって、東京はそれらと一緒に「世界のワンノブゼム」に縮んでた。 これなら東京も恐くない? その勢いで個人ホームページが次々出現。市民個人もインターネットを利用し楽しめることを実体験。
ではと、NTTや通産省、郵政省に働きかけて本格的な情報通信基盤をインターネット型で実験的につくることで合意。二十四時間じゃぶじゃぶ自由に使える「情報コンセント」を地域社会につくろうと、突っ走ってる。
それから二年。東京も 目覚めてしまった 今「次は?」 というようなことを、定例会や電子会議でネアカにマエムキに議論するんです。現在、福岡・大分を中心に 約四千八百人。

(ニューコアラ事務局長・尾野徹)

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