電脳迷宮

<1回目>ハッカー侵入(上)

安全神話が崩れた日

■きれいさっぱり
ハッカー事件は突然起こってしまった。私がパソコン通信・インターネット・サービス局「コアラ」の事務局長に就いて十一年目になる。
四月十二日のこと。午前四時五十五分、いつもより三十分遅れだけれど、ふだん通りに自宅から、コアラ経由でインターネットにアクセスしてみたが、うまくつながらない。機械的には接続されるがウンともスンともいわない。おかしい! いつもと違 う反応だ。
異常はインターネットへの接続だけで、パソコン通信部分は正常に動いているものの、じりじりする思いで技術者の出勤を待った。八時半、調査を電話で指示。九時十分、来客中の私に「ホントに緊急だから」と割り込みが入ってきた。
「システムが壊れてるようで、データがきれいさっぱりなくなっている」
一瞬どういう意味か分からなくって頭が空転するが「外部から消されている可能性がある」という引き続きの言葉にわれに返る。早々に来客をお断りして、コアラ事務局に駆けつける。

■現状復帰不能に
九時四十五分と十時十五分、正常に動いているパソコン通信システム上で、利用者に状況説明の第一報を出す。「緊急通知、警告、インターネット部分が破損し、外部から壊された可能性がある。その場合、暗号化されているパスワードファイルが消さ れる前に盗まれることもありえる。かつ、その暗号を大型コンピューターで解読させる可能性もある」と。
調査が進むにつれ、被害の実態が判明してきた。コアラのホストコンピューターにある会員のホームページなどのデータは定期的にバックアップするので、一カ月ほど前までさかのぼれば復元できるが、それ以降のデータは消されているので、完全な現 状復帰は難しい。個人の電子メールなども復旧できないことが分かってきた。

■二千人分再登録
コアラを通じてインターネットを利用している人は二千人に上り、毎日業務にも私事にも、なくてはならない状態で使っているはず。サービスの停止は最短時間でなければならない。
事務局の皆がこちらを見ている。いつもは明るく賑やかな女性スタッフも緊張している。どうするか。
「よし、データの消失は素直におわびしよう、そして、二千人全員を新しいパスワードで再登録しよう」。その瞬間から皆が大車輪で動き始めた。その旨をパソコン通信で告知する。十一時半になっていた。
何しろ新しくシステムを再構築すると同時に、二千人分のパスワードを作り直し、それらを会員に郵送できるよう個人毎に印刷・封筒詰めしなければならない。

■未明の発送作業
電話での「つながらない」という問い合わせに答えつつ、スタッフたちは役割分担を行い、流れ作業をつくり上げていく。緊迫と喧騒。しかも、終わりがなかなか見えない長時間作業。
最初の数百人分の発送が郵便局に持ち込まれたのは二十三時半。彼女たちの帰宅は朝の四時半だった。しかも、翌日十一時出社を約束して。そして、全ての発送作業終了は翌十三日二十三時半。
国内ではかつてなかった、生活者に身近な大型ハッカー事件。こうして、よく言われる「日本の安全神話、銀行神話、官僚神話の崩壊」と同様に「日本の電子ネットワークの安全神話」が、私の中で消え去っていった。

(ニューコアラ事務局長・尾野徹)

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